加計学園、森友学園の安倍・萩生田の「である」ことが「ではないか」に転移される主語制様式の転倒

  • 2017.06.23 Friday
  • 15:15

 

1)加計学園は、学園理事長と知り合いだった安倍首相が、獣医学部が認可されるようにしろと指示し、かつて学園理事でもあった萩生田が首相の意向を汲んで内閣府へその決定体制を作れと指示し、山本担当大臣が代理強行し、文科省が仕方なくその体制を整えた。

であるがゆえ、その意向の指令的指示系統が明示されないように、官僚手続きをとるべく、「非利益の利益」となる処置がなされたが、内閣府の官僚技術の未熟さ、出向官僚の当事者意識のなさなどで、ボロがあちこちへ散布された。

それだけの「である」事実でしかない。

「である」事実だから、関与者たちは「ではない」と否認する。官僚は「わからない」と否認する、「虚偽だ」とは断定しない。「否認」は肯定の転移表現でしかない。

 

2)森友学園は、首相夫人が名誉校長であったから、関係所轄はその便利を図るべく売却も安くし、認可手続き処置を進めた。それを籠池理事長が調子に乗って、安倍首相からのお墨付き(ないし影の支え)があると勘違いし、アレヤコレヤと契約書を何通も作ったり、資金を動かす勝手なことをしたため、刑事訴追を受けるようなボロが出てきてしまって、関係者たちは自分に害が及ぶと「非利益の利益」が損害を生み出しそうになったため、梯子を外された。

安倍首相夫人が名誉校長でなければ動かなかった、それだけの「である」事実でしかない。

 

二つとも、安倍個人が、「首相」の立場で認めていたから為されたことである。「認めていた」ないし「意向であった」、その「である」事実に、文書など物的証拠はどこにもないに決まっている。安倍が真に何も指令していないなら、ご忠臣・萩生田は、「俺の一存でやった」と全てを引っ被るはずだ。そうではない、指示ないし意向の事実であるから、「指示されたことは一度もない」と否認することしかできない。他者・安倍を守るような言明をしながら、自分を守る、自分が明示せずに指示を為したからだ。

また、これらは、誰が犯人かの問題でもない、関与人物は総体的に動いているから、何らかの現実が実際に動いた。その代表的エージェントがいただけで、それが補佐官になったりしようと誰になろうと同じことだ。

直接指示がないように、存在しないように、明らかにならないように、どこまで見せられるかが官僚手法と政治手法の合体でなされる。

そういう効果を出す構造になっているということだ。

 

3)安倍首相が、自らの政策を実現すべく、内閣府を使ってーービジョンがないから私的諸関係を使って実現化をはかるーー、省庁の官僚硬化した関係を飛び越えて「規制緩和」をなすのだと、国家理念もない独裁的な私的処置をなし、私的便宜をはかった。権力があると錯認した、それに官房長官も副官房長官も忠実に従い、横暴的にならざるを得ない処置をなし、「怪文書だ」などと理不尽な弁明をした、それが既存の慣習的な正当化されていた官僚手続きと反古をきたした。

それだけの、「である」明証な事実である。

政権中枢が国政に無能、横暴であることの露出である。安倍の強権的政治だとは、多くが言っていることなのに、当然実際手続きは隠される、まっとうなら全てが明るみに出され明示されうることだ。そうなっていないのだから、否認されたことの方が事実であるほかない。

 

(4)付加的であるが、官僚技術がもはや古臭くなり、機能しなくなっている。これは別問題であるが、国家腐敗の深刻な兆候である。)

 

こんな単純明快な事実を、「ではない」と当事者が「否認」するから、追求する側が「ではないだろうか」と野党やマスコミがいじくることになり、茫洋とした次元へ全てが流れ込む。

国民にほとんど直接な関係のない、末梢的出来事だけが、いじくりまわされ、知りたくもないものを「知りたい」と思い込ませ、肝心な「共謀罪」や「安保法案」など国民に直接響く重要事項が、幾度も「強行裁決」されていった「である事実」が、もう数であたり前のように常態化され、仕方がないかのようになって、そこが問われなく、ただ非難の声だけで消えて行く。

 

これらのシニフィアン連鎖は、国家が主語制様式を集中化させて統一化した「効果」が、はっきりと政治横暴の次元で出現した現象である。主語的発語と、「為された」述部との一致が否認されると、否認が否定のシニフィエとして、それが客観事実であるかのようにメビウスの帯のごとく合致していく。そして、逆に客観資料、客観物が無いと事実ではないとされ、記された内容が「言った」ことになると、主語制尺度で、主体がほんとに「言ったか言わないか」に事実確定が転じられ、またメビウスの帯のごとく合致されていく。

 

主語制も客観制も「である」事実ではないから、官僚の答弁は、「わかりません」としか事実表明できない、「ではないか」とも言えない。さすが、文書はあったのだから、「ない」とは言えなくなってきた、虚偽だと断定もできない、これも主語制様態の転倒形態の効果である。

これからは、官僚技術で、メモは、全て消せ、という事態へなっていき、決定行程は全く見えなくなっていくであろう。つまり事実隠しが事実になっていく。嘘であれ、不十分であれ、「書かれたもの」は「書かれている」事実となるのであるから、消されていく。

かつての戦争遂行の無責任体制が、準備されている。戦争は、そうやって勃発する。

 

否認による誤認構造が事実として再認されていく構造になっているのだ。

命令主体は、どこにもいない。意向の意味作用が、一人歩きしていく。「忖度」などという曖昧な言表が、正当言語化されていく。

 

国家を踏み外して、独裁的政治様態を作り出している安倍政治の実態が、何ら取り上げられないで、済まされていく、ここが危機だ。

 

加計の事実も森友の事実も、安倍が軽はずみに驕りからなした単純な「である」事実でしかない。それのシニフィアン連鎖が横暴政権へと関係すると想定されていながら、「ではないか」と存在判断と帰属判断を宙吊りにさせているから、否認によって露出明示された「である事実」をどんどん曖昧にしていく。

 

つまり、シニフィエされたことはその本性からして多義的であるため、決定や意味作用したものが何であるのか、誰もわからなくなる構造が、政権と官僚機構とに作り出されているのだ。逆にいうと、何でもできてしまう。

 

安倍政権の「である」本性は、国会無視の「強行採決」と象徴秩序無視の「天皇軽視」にある。

その裏に作用する、戦争遂行と独裁化である。私的自己願望の国政化である。

国家を逸脱している政権であることに「である」事実がある。

国家資本に届いていない貧相な政治資本である。

 

政治資本のなさは、都議会選挙での各党リーダーたちの言明に露出してくる。

 

 

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