ショウケンと岸恵子の映画「約束」を、47年ぶりに観る

  • 2019.06.17 Monday
  • 00:40

学生時代には、時間があれば映画館でよく映画を観ていた。

この「約束」は、非常に印象に残っていて、横浜の保土ヶ谷の場末の映画館で、下宿に帰る途中、ショウケンが出ている看板につられてフラッと入って観たものだ。1972年3月末。

ショウケンの天才的な初々しさと岸恵子のほとんど語らない叙情溢れる映画に、大学闘争がもう終焉してしまった、暗い残像の中で、ひとりぽつんとこの映画にひたった。すべてが不可能にみえる、その中での、悲しい哀切の愛。ぼくは恋愛映画は好きではないが、この映画は別格だ。真に愛する行為は、成就されないだけでなく、届かない壁に遮られる。刑務所に戻る岸恵子に温かい服を差し入れようとするも、刑事に捕まってしまう。「約束」のその日、二人がひとときの時間を過ごした公園に、待つ岸恵子にショウケンは捕まってしまったため来れない。その無言の岸恵子の希望と絶望の境界をなくした「生きる」虚しさのアップの表情が、見事で(これは、藤純子が「侠客芸者」(山下耕作)で見せた最後のアップの表情に共約的に照応する)、また懸命に走り、捕まって「差し入れさせてくれ」とあがらうショウケンの虚しさのいきどころないエネルギーの絶望。

 

ぼくは、行くあてもなく、大学院へ拾われて、その数日後に登録すれすれで入る。留年する数人の仲間をおいて、最後のたった一人だけの闘いを虚しく貫いて、皆が去った卒業式のはるか後のギリギリの31日付で異例の卒業を容認させてしまう。大学院の入学も異例のあり方で、指導教官になる恩師が入れてくれたようなものだ。本気で、研究に打ちこむ他ない覚悟を決めていたが、それも虚しく、博士課程1年の1975年には、イリイチのいるメキシコへ渡ってしまう。研究にはうちこむが、大学教師になろうとは微塵も考えていなかった。周りの人たちがそうしてくれた。絶望の極みの果てに何かが開けるが、何も解決はないまま、生かされる。

そんな淋しい、情愛心情のみが支えることを、この素朴な映画はどこか、ぼくに刻みつけたのだ。人生に映画が絡む、それは映像の叙情で、イマジナールな表出が現実界の不可能を疎外表出させてくれるからだ。日本海の淋しい海の叙景的叙情、そして、ぼくは岸恵子が約束で待っていたのは、パリだと思い込み続けていた。フランス映画的な、クロード・ルルーシュの「男と女」に重ねてもいたからだろうか。宮川泰の音楽が、フランシス・レイのような、そういう感じをもたせていたためだろう。

 

刑務所に戻る直前、そこまでついてきたショウケンは、付き添いの監視人に、いいだろうまだ時間があるだろうと、刑務所前のラーメンを屋台で食べようとするが、監視官が美味しそうにラーメンを食べるも、二人は食べることができない。「ありがとう」と二度目の礼をいう岸。愛してくれてありがとう、だが、そこには生きる希望の灯りを見せてくれたありがとう、自分へ懸命になってくれることへのありがとう、やさしさへのありがとうだ。

そして刑務所の鉄格子の塀で、岸は抑えていた激情を発し、「あんたの名前聞いていない、なんていうの」と叫びながら、「2年後のこの日にあの公園で待っている」、と「君の名は」のシーンを繰り返す。

蛍子=岸の人生での生を亡くした存在に、船の灯りが灯ったそれを「蛍だ!」と言う、朗=ショウケンは、「明るいアキラではない、朗らかのアキラだ」とこたえる。名ざしだけに表象される希望の絶望。

 

斎藤耕一監督は、その後「旅の重さ」を作り、ぼくはそれを新宿のアートシアターで観、あの任侠映画最後の高倉健・勝新・梶芽衣子「無宿」を撮り、やはりアートシアターで観る。

ぼくの青春の終わりだ。

 

多分、メキシコのまったく異質な世界の暮らしがなければ、ぼくは自死の道へいくほかなかったと思う。中学1年生の時からの自死願望を、大学闘争が、間延びをさせてくれていたにすぎない。自意識過剰化する自己実存を捨てうることを闘争は教えてくれた。マルクスの哲学は疎外に歴史の流れの現実世界があり、そこで生きうるものがあることを教えてくれた。自分の存在などに、なんの存在意味もないところから、ようやく自己技術の回路をつかみえていく。

いま、ある余裕をもってかつてを振り返り自分を対象化して見つめ直しているが、存在の本質が変わったわけではない。とくに、情緒の次元の感覚はまだ対象的に突っ込んで考えないまま、外的世界の不条理の解読に日々を費やしてきたが、類的な希望の回路、ーー述語制ーーは見つけ出した。そこから見れば、情緒、感覚、術技を述語的非自己からはずさずに見れるはずだ。

 

47年ぶりに、光TVで、「約束」を観た。ほろりと涙。

少しも古くない。だが、ラーメン3人分は、360円だった。

岸恵子のたんたんと歩く姿が寂しく美しい。時に、40歳。全速で走るショウケンは、「太陽が吠える」の世界へ入っていく。ショウケン22歳。

ぼくは、23歳だった。

 

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