再び、高倉健展にて、長崎で講演。

10月13日、長崎歴史文化博物館での「高倉健追悼展」にて、講演してきます。

いわき美術館に次いで、2度目です。高倉健展は、これが最後だそうです。

 

長崎は、網走番外地の第3作目「望郷篇」で、舞台になったところです。

石井監督のシリーズは、橘真一=高倉で、その故郷は長崎であったとされたのが、この3作目=望郷篇。

 

長崎くんちの祭りが、挿入されています。

これは、諏訪大社が中心の祭りで、そこにキリスト教神社とされた森崎社、そして住吉社の三つの神輿がでる。

諏訪大社は言うまでもないタケミナカタ、大国主の国譲りをなした神です。歴史的には京都の諏訪神社から分霊したようですが、なぜ長崎にそれが建てられたのか?

そして長崎は、キリスト教の住民が多かったところ、秀吉によって虐殺される。二十六聖人の碑がたつ、そこで、橘は黒人合いの子のエミリーと親しく会話し合う。

森崎社は、イザナキとイザナミ、住吉は、上・中・底の筒之男命、海の守り神。

非常に面白い合祀の神社です。

国つ神の、非常に異質な構成になっている。もとは、1555年の戦国時代に建てられたようですが、ポルトガルやオランダがやってきた。

潰され、1625年に再興され、3社の合祀がなされた。

1637年が島原の乱。

そして1648年に豪勢な社が、江戸期に再建された。

鎮魂しないと危うかったのでしょう。

 

祭りで、神輿を担ぐ網走仲間。当時合成映画などはまだなかったと思うので、実際に祭りに合流したのでしょうか?!

少なくとも高倉と数人は実際に担いでいるよう。担ぎながらの会話は別撮りでしょうが。

1965年です。祭りは、10月7〜9日、映画公開は10月31日。

1965年は、日本侠客伝が2作、昭和残俠伝が始まり、網走番外地は一挙に4本。

高倉健任侠映画時代の本格的な始まりの年でした。

傑作が並ぶのが1970年です。72年には各シリーズは終結し、75年で完全に終焉。

 

橘の母のお墓があるお寺が出てくるのですが、崇福寺?

長崎の方に確認してきます。

長崎をぶらぶら歩いて、考えて見ます。

長崎とは、一体いかなる場所であるのか?

非常に特異であるように見えます。

マラッカもそうなのですが、キリスト教、儒教、イスラム、仏教など寺社が乱立、港町は、宗教が混在融合共存しています。

 

いろんな面白さが、無意識的かつ意識的に組まれていて、どんな話になるのか、自分でも楽しみです。

映画との意図的な脈絡はつかめないのですが、無意識な背景の意味があるかと。

港湾の人入れ稼業が、機軸です。「ごろつき」の近代労働者化です。これは、任侠映画の基盤になっている。

港湾回送、石切場、石炭採掘、土木業など男の肉体労働、近代労働の地盤であるものです。

そのもう一方が、テキヤですが、これは神の系譜が違う。