<賃労働者>意識・感覚の主語制様式の膠着化:経済停滞、官僚硬化、政治不能化の根源

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 11:20

日本が発展してきた根拠であり、それは同時にある頂点を通過して、逆生産性へ転化して、停滞の根拠にもなっている。

それが「賃労働者」意識であり、感覚にまで自然内化されている。

 

自分もかつてそうであったが、「就職する」こと、それが生活生存の基盤であると思い込んでいた。

それには、能力を形成し、学歴をとって、少しでもより良い会社や大学・学校や官庁・役所などへ「就職」することで、給与をもらえるようになることであった。

大学に就職できた時、やっと「ほっ」とした。これで、給与が定期的に入ってきて、落ち着いて生活できるからだ。貧乏生活からやっと脱却できると感じた。

だが、5年もすると、研究の何もできない状況にあることを感じ始める。諸関係が閉じていることが要請されている。

当然、自由もない、規則制限が締めつけてくる。労働力を売り渡しているだけだからではない、労働自体、自分自体も売り渡して保証されているからだ。給与をもらっているのだから、それに従う義務がある、と。

すると、自分が自分であり続けるためには、最低限の義務は果たし、どこまで問題なくそこからすり抜けられるかを考慮し始める。

賃労働者は、皆、責任回避を、どこまで問題を起こすことなくしうるかに、自らの知恵をしぼる。

 

就職できるためには、「認めてもらうこと」、「認められること」に価値があるとなっている。

「認められた自分は価値が高い」と、思い込むのだ。大企業や東大教官に多いが、制度機関側が蓄積してきたものの価値であって、その人物の価値ではない。横柄で傲慢な態度は無能であるゆえの裏返しだが、しかし良き従順であることが、今や、組織内での「臆病とへつらい」にまで落下している。

外在的には、認められることに、もはや価値がないという次元にまで、いたっている。

それは自分ではなくなることだ、手を抜くことだと、感知され始めているためだ。

 

だが、就職しないと生存し得ない、という思い込みはさらに強化されていく。

ほとんど全てが、賃労働者になっている。大企業の社長も賃労働者であり、官僚はもとより議員、首相まで、国立銀行の頭取まで、皆賃労働者だ。経団連などは資本家の集団ではない、高給取り賃労働者組合でしかない。

 

資本家なるものが、もう、ほとんどいない。生産諸手段は、社会化されているか共有化されている。

中小企業や、小商店の自営業、小さな飲食店などが、かろうじて「資本者」でいるにすぎない。

どこも「資本」経営ができていない、商品経営か組織経営しているだけだ。だから、儲けが出なくなっても同じことをし続ける。

経営の賃労働化になっている。

 

賃労働者の特質は、自分を守ることが第一、そして他者と齟齬をきたさないように配慮する。余計なことはしない手法を身につける。

無事、円満に物事がなされることが最優先になる。

そして、賃労働者は、目先の直接のことにしか現実がない、経営総体に関心などない。部分に敏感で、総体に無関心になる。それが、身の安全を守ってくれる。与えられたことだけをこなす。

賃労働者を保証してあげることで、日本は発展した。労働技能を発揮させることができたからだ。

 

今、なぜ、政府が、組合の肩代わりのような、賃金を上げろとか労働時間を縮小しろとか、労働福祉を充実しろなど、「管制組合」化しているのか、自民党党体制を保持するためだ。労働者のためではないから、連合が文句を言うが、連合は旧態依然のことしかしていない。

いわば、企業も政府も社会主義化している。社会主義体制とは、すべての労働者のためだを正当化基準にして、党独裁を保持する仕組みである。賃労働者へ、国民を政治不能化させている政策である。

だが、国民は、もはや賃労働者であること以上に、消費自由者であることが主要な目的になっている。固定労働者になるより、臨時雇用者でいつでも仕事を変えられる自由の方がいいとなって、イヤイヤでしかない賃労働からずれる事で、社会的分業体制に従事している傾向にある。

だが、意識・感覚は、賃労働者の再認の徹底した構造化にある。それは、自分で物事は作れない、自分で生産はできない、どの仕事につくかの選択だけがなしうる、消費行動だけは自由だ、と消費へ逃げ込んだものだ。

「これこそは自分がしたいことだ」と思って入った会社や機関であるのに、そうでないことばかりに規制される。

 

消費行動の自由とは、商品アクセスへの自由でしかない。言論の自由などは、自分に言論生産がないのだから、どうでもいいとなる。情報データへアクセスできる自由があればいいとなって、そこさえ、抑えられてしまう自体の進行があることは考えられ得なくなる。権力の抑圧が増す、という無いものがあるかのような賃労働者感覚が批判意識になっているぐらいだ。権力関係作用が、自分を可能にさせているものだという認識は取られない。

すると、権力があるものは、トップだけだ、他の者たちには権力はない、という認知になっていく。自分自身が、それを作っているのだという自覚は全くない、他律が支配している、それは自分の責務でも責任でもない、他者のことだとしかならなくなる。自発的に会社や機関をやめて自立していく者を、やめさせられたんだ、ついて行けなくなったんだ、という目でみて、自分が追従していることを選ばれてまだあるのだ、と自己暗示させ、権力所有する者が他にあるのだと、再認を固めていく。安倍政権の独裁的構成は、そうやって作られている。官房長官の言動は、権力代理人が権力を所有していると思い込んだ、そこが露骨に出ている。

 

これを、学校教育の子供時代から身体化させている。規範からはみ出すような教師ももはやいない、全て、規範に従順な真面目な規律の浸透である。規範化社会は、良き規律社会であり、それは本質的に真面目さと清潔さの監視社会である。監視社会は、とうに出来上がっている。共謀法で露骨になるだけのことだ。

市場経済の自由までもがすでに統制されている。統制が、全てを保証させてくれるのだ、となっている。

 

こうした編制全ての根源は、賃労働者社会にある。

自分の技能や能力が、自分で自己生産し自己統治し得ない関係にあると、自らでなしている社会である。

あるいは、自分が作ったものは、所属している機関へ所属させられ、自分のものではなくなる。

抑圧、支配されているのではない、自発的に自分でそうしている。消費行動に、遊べればいいのだ。

 

賃労働社会とは、<資本>喪失の社会である。

自分の世界ではない、社会的代行者になって生きていける社会である。

中産階級の「善意」の社会である。最低生存はできる、既存秩序は尊重する、自分で世界を作ろうとは考えない、与えられたことに良き順応をなしていくことだ。意味されたシニフィエのみが真実だ、とされている。

大学教師の学問など、すでにあることのシニフィエの整序をしているだけで、シニフィアンを全く見ていないから、使い物にならない。賃労働者学問でしかない、そんな大卒知を領有した人たちが、社会の幹部代行者になって、国家資本・日本資本を劣化させている。その象徴が、国会で答弁する官僚の仕方であり、野党議員たちの中途半端な攻撃の仕方である。経営できない大企業の賃労働経営者たちである。大卒賃労働者たちだ。大学が無用になってきたとき、大学進学率が半分を超えた。逆生産が露出してきた。

一部の賃労働者は、少額で株の売り買いをし、投資したつもりになっている、完全に利子産み資本へ振り回されている、それは資本家の動きではない。

 

つまり、いま、日本でこれまでポジティブであったものが、逆のネガティブなものへと反転し始めているのだ。

すると、反動が強化されて、イノベーションはなされなくなる。再認と再生産が、膠着化していく。

安倍政権の諸策は、規制緩和ではない、再認の擬似的変更であって、首相個人の自己保持の施策が党保持と結合したものでしかない。

他方、個々人の自由な動きを保証するはずの情報技術は、情報システム生産者側に都合よく利益になるような、ユーザー押さえ込みの生産へと構造的に堕落し初めている。何か新しくなると、ユーザー側には不便になる。発展途上の情報技術まで、早くも逆生産性へ突入している。

 

これらは、文化概念スキームが旧来のままで、科学技術や情報技術の技術開発がなされているためだ。

 

それら全てを構成してきたものが、国家資本へ集中化された主語制様式であり、その客観への総合である。主客分離の近代学問体系に停滞したままの知資本である。その社会現実の遂行が「賃労働」による生存遂行であり、商品アクセスへの自由に欲望する消費行動である。自己保存が、究極目標になるが、他律依存でしかそうならないとされている。

自分から事業していく若者が減っている。日本の資本力の損失である。

 

賃労働が半分以下にならない限り、経済は疲弊する。資本家capitalistになることではない、諸個人が資本者capitalianとなることだ。生産手段を所有する必要はない、使えばいい。自らの技能、能力、つまり自分の文化資本を、生産マネジメントすることである。

賃労働意識・感覚は、想定以上に強固であるゆえ、その否定への反発はさらに強固である。生存に関わるからだが、最も自分ではないものであるのに自分であるかのもののようになっている、そこにしがみつく。もっとも疎外された様態を、自分であると自分が作っている。

それゆえ、ここが変容しない限り、何も変わり得ない。

 

 

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