貴乃花=坊ちゃん親方の、社会化された「相撲道」「横綱」道:転倒したそれが、元凶の事件。

  • 2017.12.01 Friday
  • 12:16

 

色々がたがた言われているが、最も「悪い」のは貴乃花親方であり、その犠牲者が日馬富士であり、「守られている」貴の岩はもっと被害者になる。貴の岩は、殴られた被害者に加え、さらに問題が社会化=警察化されたことで、社会と協会との双方から疎外される被害者になるざるを得な苦なるように、貴乃花の転倒行動によって関係の不可避制が動いている。

 

●明らかに、貴の岩は、横綱に殴られるような無礼、礼節を欠いた行動を、繰り返していたのだ。

→つまり、貴乃花親方のしつけがなっていない。相撲道など教えられていない。自分が相撲道だと勝手に思い込んでいる、傲慢不遜な態度、顔つきにそれが出ている。力士は土俵の上だけに生存しているのではない、日常生活を送っている。モンゴル文化と日本文化の差異に置かれている、その差異への認識もこの坊ちゃん親方は認識などなく、日本相撲道へ従えと、自分勝手の傲慢な思い込みを私的に貫いているだけだ。「俺は「強い」横綱だったんだ」という威張りがあるだけだ。自分の禁欲が相撲道だという思い込みは、心的転倒になっているようだ。

●殴られる者は、自分が何をしたのか自覚がない、だから最終的に殴られる。どうして殴られたのかも分からない。

→それを教えてやるのが、親方だ。なのに、殴られた=傷を負った、それは一般人がいたなら大変なことになる、と「意味されたもの」だけで一般化し、さらに笑ってしまうが、「正しい裁き」を得るために「警察に依拠する」という、社会の場、さらにそれは警察、そして裁判と「処罰システム」への依拠が「正しいことだ」と錯認している、社会知らずの社会依拠、規範知らずの警察依拠の、無知な餓鬼的行動に出る。「監視・処罰システム」が、「正しい」ことだと思い込んでいる。

●喧嘩は、瞬時に勃発する、周囲にいた者は、一瞬何が起こったのか、分からない、部分現象のみしか、それぞれには見えないし把捉しえない。

→だから皆の見解が食い違っている。一致しないから、警察へ訴えた、という、それは「モンゴル力士」を信用していないということを意味し、本質的に社会次元へ出現しえない人間関係の物事や機微が全くわかっていない「親方」だ。人を育てる力量などない表れだが、少なくとも指導者としてはトータル・スキルがない。

●貴の岩に発言させない。少なくも協会には発言させるべきだが、「協会を」「あんたがた理事を信用していない」(そう言ったか言わないかではない、信用していないから被害届を警察に出した)というのなら、誰がどう思おうが、理事は自分で「辞めるべきだ」と組織社会的にはなる。協会がだらしないのは、組織規範を貴乃花が破ったのだから、協会理事でありながら協会へ協力していないのだから、やめさせるべきなのにそれをしない。そこからしかスタートしない。→協会は、責任回避している、そこが貴乃花の思う壺になっているが、両方とも、自己責任回避しているから事態が宙吊りになる。

●結果、犠牲者は当事者たちになる、日馬富士は引退を否応無くされ、貴の岩はもう多分相撲は取れまい。いや、モンゴルにおいてさえ居心地が悪くなろう、日本でも相手にされなくなる、一番の被害者として、踏んだり蹴ったりになる。→貴の岩の自分の態度が悪いからだ。それが、いずれ明るみに出る。世間知らず、人知らず、相撲道を履き違えている「社会化された」坊ちゃん親方の犠牲者が貴の岩だ。貴乃花は力士を守っていない、社会の中性的な場に放り出した。

 

どうしてそうなるのか?

個人の意図、事情は、社会場では消される本質があること。全て他律依存構成になるのが「社会」である。(だから西欧社会では、主体的確立の強迫観念が、市民社会的かつ哲学的に探究される。)日本社会では、述語制が受け身へ転化され、規範への他律依存にしかならない。市民社会が未熟だからと言われるが、そうではない「社会」仕組みとして完璧に近く成立しているということだ。

相撲道なるものがあるのだとしたなら、それは相撲文化と日本文化の合体として恣意的なものがその相撲世界の中だけで正当化構成されているもので、外部の原理とは異なるという関係構成にしかならない。

その中で「可愛がり」というしごきの物理的暴力を持った「しつけ・訓練」が正当化されて、それが道を外れないように、構造化され、象徴的支配として正当化されるが、「暴力」一般として「社会の場」へ引き出される。「暴力は悪だ」という「当たり前」の一般化である。象徴的暴力は剥奪され、物理的暴力だけが意味された対象になる。これは、相撲世界とは全く別の社会原理の場になる。

つまり、協会は、内部だけで処理しようとするから「温存」となり、いつまでもなくならない。土俵外でも相撲世界が拡張される。そこが社会世界とハレーションを起こす。その歯止めが、協会によって統御されえていない。協会側も、自分たちが何をしているのかわからなくなっている。

モンゴルの会が、モンゴル力士の中で、慰安を兼ねてなされている、それは日本文化、さらに相撲文化という全く異質な世界で生きていくための苦しさを実存的に慰め合う形式から、横綱という日本人以上の力を3人ももってしまったために、タガが外れて、自分たちが弟弟子たちをしつける、つまり自分たちの象徴支配を守るという形へ疎外され、未熟な若手を教育する責務へと転じられた場にもなってしまった。それが、貴乃花が私的に勝手に思い込んでいる「相撲道」と食い違い始めた。貴の岩は、その間に置かれ、矛盾を自ら処置できずに、また「若者」という世代間矛盾も背負って、「礼節」「礼儀」を欠いた態度になってしまった。日本とモンゴル、相撲世界と外部世界、横綱と下位力士、世代間、さらに部屋別差異、という少なくとも5重の矛盾対立に配置されて、「どうしていいか」わからなくなっていることからの「態度」が構成される。

 

モンゴル力士には動物名が付けられている、朝青龍、白鵬、そして馬、鶴。日本力士は、貴乃花、若乃花、藤、菊、双葉山、と植物名、そして山、海、波、など自然だ。貴の岩は、「岩」だが、自然物でも硬い。無意識の意識の差別化がなされている。

貴乃花の今回の動きは、「花」ではない、「たおやかさ」を喪失した、明らかに逸脱している横綱道になっている。

 

貴乃花の礼節なき無礼行為は、相撲協会の組織においてもかつ「社会の場」でも取られている。

自分の私的なものでしかないから、「社会」という場と原理に依拠しないと正当化できない。

何が「タカの乱」だ、笑ってしまう。駄々っ子が、処罰権力システムに依存しただけの話だ。協会を「ぶち壊している」とする横綱審議会の無責任体制が、そこにさらに輪をかける。なら、貴乃花を処罰すればいいだろう、協会の「社会」組織ルールを違反しているのだから。責任取りたくないから、これもまた「社会」の場に放り出す。権限はないといって権限を行使する隠微な組織体だ。

「社会の場」とは自己決断がない世界である、全てが「他律判断」され、それが「正当」だとされている仕組みだ。裁決は、裁判でしかなされない、裁判は、全ての意味するものの作用を切り捨て、全てを意味されたものの「事実」配備として正当化された配置に置くシステムである。そして、判決言い渡しにおいて、当事者の意味する作用へと反省を促す。唯一、二項対立を対等に配置することで正統化機能を保持する。犯罪側にも権利があるとしていることだ。

警察は、その事実確認を検事側へ提出する。警察は、現行犯でない限り判断はできない。「正しさ」などどこにもないもの、そうなるかのように正統化へと配備するだけだ。「事情聴取」とは、事情を剥ぎ落としていく「事実化」である。相撲世界の慣習などを剥ぎ落とす。つまり、貴乃花は、相撲道の外部に判断を放り出し、それは相撲世界でのことではない傷害事件として、実際に、貴の岩を、相撲世界の外部に放り出したのであって、「守っている」のではない。それが、わかっていない坊ちゃんだ。這い上がってきたモンゴル力士の苦悩など、微塵も感知できていまい。

 

力士側が、貴乃花の巡業部長をやめてくれと、異議申し立てをし始めている。それは押さえこまれるであろうが、貴乃花を支持するものはいなくなる。

こんな貴乃花に「相撲道」などはない。

白鵬が優勝インタビューで発言したこと、それは観衆の支持を得た。それは「願い」である、それを道を外れた、行き過ぎだ、などと言っている相撲世界が機能しなくなている現れだ。白鵬以上に相撲を深く了解している日本人力士がいない、情けない日本に、国技もなっている。その表れが貴乃花である。彼もまた、犠牲者といえば哀れな犠牲者であるが。

 

殴ったのは悪い、しかもいき過ぎた。互いに謝りあい、許し合い、共同会見のパブリックな場に出て(ソーシャルな場ではない)、相撲世界の暴力的体質改善へと部屋も協会もさらに取り組むとして(日馬富士は貴の岩が戻れるまで休場処分の喧嘩両成敗)、二人が白鵬がいうように土俵に戻れたならいいことを(ファンはそれを望んだ)、貴乃花が「ぶち壊し」、二人をさらなる犠牲者にした。

日本文化の述語制世界は、規範社会と組み合わさると、こういう愚行世界に陥る。

 

話されたことだけ(書かれたことだけ)が「事実」ではない、真実は語られえないところにしかない。相変わらずというより、さらに進行する「話されたもの」=意味されたものだけが事実だと正当化される、マスコミ風潮、それがまた国会でも繰り返し蓄積されていく。日本崩壊は、どこまでいくのか・・・・・・。

 

 (つづく)

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