西野監督の約10分間の試合放棄の転倒の意味:本質=実際の視座から

  • 2018.06.30 Saturday
  • 13:57

 

呆れるほど結果良ければ全て良しの転倒が、ベスト16水準で、日本で普及している。

 

どういうことか、もう少し説明しておこう。

「結果result」と「ゴール=到達目標goal」と「目的aim」の混同だ。

これは、大学知性、産業主義経済、社会規則、さらには国家資本の認知・認識構造として、科学技術にまで起きていることなのだが、「結果」主義の転倒認識である。それは、現象としてはシニフィエ(意味されたもの)だけが現実だと思い込んでいる典型で、現実の実際の働き・動きを見ていない、見れなくなっている、かつ否認している言動になる。一般に手段と目的との転倒とされているが、「ゴール」の実際的・現実的な意味が、誤認される状態である。

スポーツにおいて、もっとも顕著に出るが、一流のスポーツ選手自身は、かかる誤認・転倒に存立していないのだが、それを管理・監督する2流以下の者たちに起きてくる。

 

今回の最終予選の場合、

「ゴール」とは、「決勝トーナメントへ突破していける<実力>」を形成・領有することである。その遂行総体である。試合ごとに1、2戦で形成されてきた。

「目的」は、「優勝すること」に決まっているのだが、最初から、それは不可能だ、妄想に近いと認知され、ベスト8へ行くこと、とされる。(この負犬意識のある限り、飛躍はない。)

「結果」は、勝つことではない、そこにおのづとついて来ることで、結果が出たのだからいいとはならない。

 

ここで、転倒が構成される。

ゴールは「結果」から規定されて、「グループ予選を突破」=結果へと転倒される。

その結果のためには、自力ではない、他のチームの結果次第へと依拠される。

そして、目的が「ベスト16になること」と矮小転化される。

ベスト16と指標される「決勝トーナメントへいく実力」という本来のゴールは、消される。

ゴールの放棄、つまり戦いの放棄=試合放棄の約10分間へ。

 

ゴール喪失になっていないなら、最後の10分に引き分けか勝ちへとまさに「勝負をかける」ことになる。

それでは、2失点になる危険が「結果」する、と必ず「できない」「しえない」という負け犬の想定が入って、「すること」で損失を受けるものを回避し「しないこと」へと転化される。だから、カウンターでの失点を恐れ、ボール回しで「しないこと」へとプレー自体が転倒される。しないことですることへ、という最悪のプロ性の放棄。

 

完全な間違いへと転化された。

これを、呆れるほどサッカー関係者たちが、「結果がよければいい」と、転倒が構造化されていることを忘却していく。

つまり、ベスト16へ行ったことで「得たもの」以上に、そこで否認されている、喪失している、見えないものの作用を全く認識していない。それは「ゴール喪失」である。

 

例えば、水泳で考えてみよう、予選突破が到達目標=ゴールとされて、他の選手の記録次第になって、「金メダル」という目的がすっ飛んでしまうことを意味する(はじめから力がないと、他の基準から規定してしまう)。スケートであれ、柔道であれ、陸上であれ、すべてにおいて同じ様態になる。この予選で、一流選手が、力を抜いてなすことは、他律ではない、自分への自己技術として、タイムの調整をはかる。荻原が、かつての康介が、金メダルをとる目的のために、それをなしうる「ゴール」としての実力をそこまでの間に形成する、それが「ゴール」だ、金メダルはゴールではない、付いてきた結果でしかない。実際の選手、優れたコーチは、ここがわかっているが、第三者は、結果しか見ない、当事者でない発想が「結果」である。もし銀メダルになってしまったなら、ゴールの形成が不十分であったのであって、そこを対象化し再び練習に励むが、結果が銀だったからではない、

ここへのスポーツ管理者たちの転倒には、選手たちは呆れているはずだが、プロ野球でいうと、「結果」で給与が査定される。部外者は、「結果」しか判断できないからだ。「結果」は当事者に付帯するが、それは当事者の「実力」「能力」ではないことが、部外者にはいくら言ってもわからない、だが、一流の選手経験者ならそこはわかる。

 

結果の物象化が起きていることに、非当事者たちには特に、わかられていない。

否定やしないことを遂行したことが、物事の客観化を図っていることだと転倒誤認され、同点、勝ちを「ゴール」形成すること=「する」ことは無謀、考えがない、とされる。

そして、結果がよければ、今回みたいに礼賛、結果が出なかったなら避難轟々、となるものでしかない。部外者のご都合主義になる。

 

ゴールとは、シニフィアン(意味するもの)である。

例えば、投手でいうと、ボールを握り、あるフォームでもってボールを手からはなす、その瞬間までが「ゴール」である。そこで、投球は決まっている。それが、ストライクになるかボールになるか、ヒットされるか空振りさせるか、そうした「結果」は「ゴール」ではない。ストライクが入らないなら、「ゴール」のところで何かが狂っているか練習不足か無能であるかになる。

優れたスカウトは、「ゴール」を見極めるのであって、「結果」をみるのではない。「結果」判断なら、中学生だってできる、素人だってできることだ、そこにシニフィエされて記述されているのだから。「結果」、それは投手のスキルではない! データでしかない。

100m陸上で、日本選手の「ゴール」は10秒ごえになっている。妥当である、そのための訓練が日々なされる。「勝つ」ことはゴールでないことがわかられている。

 

「目的」とは、優勝すること、金メダルを取ることなのだが、しかし、それは表象であって、そこにいろんな物事が付帯構成される、そこを選手の意識・態度からトレーニング体制、分析体制から施設から、総体構成される「目的」が設定されてこそ、「優勝」「金メダル」の目的への手立てがなされる。これは、「ゴール」を規制する配置になるため、手段と往往にして混同される。ゴールがはき違えられていると、目的は確実に転倒する。

少なくとも「勝つ」ことは手段であって、目的ではない。「勝つ」ことを目的化すると、今回のような転倒が起きる。「優勝すること」は不可能領域に配置されるから目的となる、勝つことは可能領域にあることでしかない。大卒知性は、ここを完璧に誤認する、シニフィアンの作用が認識に捉えられていないからだ。(ある年寄りジャーナリスト?が、日本バッシングは、してやられた海外の嫉妬だ、裏の人種差別だ、などと知ったかぶりの大卒知性の無知ぶりを述べているが、黒人選手がたくさんいるヨーロッパチームの実状も、かつての西欧内部でのジタンへの差別言動も、今回のセルビアへの選手の差別ジャスチャーも、ゴールや目的のスポーツ構成もわかっていない典型である。スポーツの人種差別の根源的問題は、別のところにある。もう少しはっきり言おう、もしせめぎ合っていたのがセネガル=アフリカでは無く、どこか欧州国であったなら、バッシングはもっとすさまじくなっていたであろう、人種差別の位置がどこにあるのか全くわかっていない、発言だ。)

 

西野監督で、ベスト16へ行けたんだから、「結果が出たんだからいいではないか」と、川淵も岡田元監督もさらには釜本もラモスさえも言っているが、こういうのが世界水準で三流選手でしかなかった、協会へ顔が向いている、自己保守の表れである。「結果が全てだ」で、スポーツは成り立っていない、「ゴール」の質=スキルで成り立っている。だから、試合までの訓練や練習、そこへのトレーナーや分析者や栄養など、全ての「ゴール」形成・構成が重要になる。

サッカー協会が、その体勢を構築していないから、ダメだとわたしは言っている。クラブ依存や「結果」で自己正当化しているだけだからだ。監督交代からして、もう「ゴール」をわかっていないから、2ヶ月前まで決断できない協会幹部、結果判断しかできていないからだ。そこに、今回のケースをもって、世界レベルまで上がった、などと本源的勘違いする協会会長の無能さ。

ともかく、おしなべて日本のサッカー関係者たちは、「結果」主義で、スポーツが本質的・本源的になんであるのかまだわかっていない、という現れだ。

 

西野監督は、明らかに優れている、コロンビア戦、セネガル戦の2試合で、「ゴール」を見失っていない采配をしているからだ。

だが、3戦の、最後の10分間は、これは、完全に「ゴール」喪失、結果からの目的転倒に陥った。

遅延行為は、イエローカードであろう、試合放棄であるからだ、それに匹敵する。いやそれ以上の試合放棄だから、ルール違反に勘定されなかっただけだ。イエローカードは、2枚以上出ている代物である、いやレッドカードものだろう、だからバッシングされている。ポーランドは勝っていたから付き合った。

この他力依存の10分間は、完全に間違いである。

他にも似たことは多々あったなど、事実ではあるが、それは「間違い」が多々あった、間違いをルール違反にし得ていないFIFAの官僚主義の元での「隙間」があるがゆえに引き起こされる愚行だ、ということだ。

なのに、「結果が出たからいい」と、無能な無知な日本のまたFIFAの官僚的ど素人が、自己保存的な正当化をしているにすぎない。あとは、ただ外部の心情的許容の賛成者が、「結果」だけから同調しているにすぎない。サッカー関係者の賛同は、協会への媚び売りでしかない。こんな次元から、サッカーは日本では強くなれない。だから、まっとうな一流を目指すものは、海外へでる、年俸も半端では無い、日本が体制を作れていないからだ。

 

ヘリゲルの「日本の弓術」という名著がある、ドイツ人が、日本の弓術を習った経験を説いたものだが、彼は師から、「的を射ると思うな、的を見るな」と指導される。西欧的思考にあるヘリゲルにとって、「的を見ずに」どうして的に当てることができるのか、理解できない。そこで、ある日仕方なく師は、ろうそく一本の的が見えない、闇の夜に、弓を射てみせ、的に当たることを示す。

つまり、弓に矢をおき振り絞り、矢を放つまでが「ゴール」、そこで決まっているということだ。「的」の問題でも、当たった「結果」のことでもない。洋弓で、オリンピックでメダルを取った日本人選手が、ホールの中の時計の、動く針の間を射抜いて見せたが、「的」がどうあろうと関係ないのだ。日本の技術だけの特質では無い、普遍的な本質技術の構成であることだ、ただ日本はそれを「述語技術」として磨き上げている。

これは、卓球で、一流になると、卓の端におかれた球を一発で当てる、バトミントンではコートの端においた筒の中に羽をすっぽりと入れることができる。曲芸ではない、「ゴール」がスキルで形成されているから、的や結果の問題なのではないのだ。

ラカンは言う、鳥を射落とすことはゴールではない、弓と矢がゴールなのだ、と。「ゴール」は縁だ、その中は空だと。だが、ゴールを手段、道具だと見誤ってはならない。心身と弓矢の非分離構成がゴールの中でなされることだ。

「空」だから、当事者にしか感知されない、一流選手は「ゴール」を自らのものに高度に領有している。わずか数分、数秒のためにその「ゴール」を身体へ心的作用とともに非分離構成している。ゴールを高度に磨き上げた者が結果を出す。

 

「ゴール」と言うとサッカーでは、球がケージの中に入ることになっているため「結果」として認知されるが、そうではない、選手の身体力能、情勢判断、そしてアシスタントやチーム陣形の、その総体の「ゴール」形成がなされて、入る、偶然に入ったのでは無い。だから、メッシであれ、ネイマールであれ、ゴールを決めるのは容易ではない。ハット・トリックと尊称されるのは、それがいかに難しいかを示している。入った球に観衆は興奮しているのではない、「ゴール」そのものの次元にあることの表出だから興奮し得るのだ。シュートの行為は、目的へ向けてなされ、「ゴール」で決まっていく、「結果」は「得点」である。目的は、ゴールの円環の縁=輪の中を、せり上がるようにして、抜けて行くものになる。ゴールを通さないと、目的は成就されない。

 

結論的にはっきり言おう。

「ゴール」を目的や結果と混同する次元から、一流のスポーツなどは「絶対的に」なされえない。

結果はそこについてくるものでしかない。「勝利」はゴールではない、ましてベスト16に進むなどは、ゴールでは完全にない。

結果から競技やプレーを構成するのは、ただの転倒であり、試合放棄になるか、自己摩滅になる。

長谷部君、気をつけたまえ、そんな「結果よければ」などの認識を持っていると、あっという間に二流以下の選手になってしまう。

西野監督、協会の規制的状況の中で、あんな10分間の采配をしていることは、サッカースポーツを踏みにじった行為でしかない、フェアプレーポイント計算の悪用であって、非スポーツ次元での実行だ。自分でもはっきりと「不本意だ」と言っている、そこを間違いだと再認識し、西野自身へ戻らないと、監督としての履行はなされえない。

 

ゴールを了解して、そこに不可避の形成を「目的」とブレずになしえているのは、水泳、スケート(高木美帆などは自分に「ゴール」が領有されていないと自覚し、ゴールの領有に研鑽したから結果をもたらした、しかもその結果に少しも埋没していない、小平も)、そして陸上の400メートルリレー、など。

ここをはき違えているスポーツ関係者たちから、世界レベルの結果はついてこない。

日本サッカー界は、呆れるほど低次元であることが、今回の出来事で露呈した、ベスト16次元で、うろついている次元でしか無いということだ。アジア圏で突破したのは日本だけだ、で充足している、そんな程度だ(韓国はかつてベスト8まで行っているのに)。

また、他方で、早く、データ結果でのプロ選手の査定給与というど素人=部外者による仕方は克服されねばならない。大リーグで、投手のボールの回転数が測定されるようになったが、是は「ゴール」査定への進歩である、などなど。

 

補足

F1のホンダ総監督だった櫻井さんから聞いたことなのだが、F1で「最初から負ける」とされていたスタッフの意識改革から始められ、「優勝するんだ」という目的にあう「ゴール」づくりへと構築した。セナの獲得もゴールの1要素である。そして優勝する。そこまで、いかに多くの物事をなしたことか。ピットで、走行時の情報をすべてキャッチするとか、エンジン開発とか、スタッフは原理の違う多国籍にするとか、ただドライバーが運転して勝つなどの世界ではない。

ある有力な若手選手が出てきて、優勝寸前、引退する古参の選手に華を持たせようと減速して勝たせた、その後は自分の天下だと思ってのことだ。だがその若手は、以後一度も優勝することができない。一つの機会に「手を抜いて」はダメなのだ、絶対にダメなのだ。プロの戦いは極限でなされている、その極限同士のせめぎ合いである。結果がせめぎ合っているのでは無い、「ゴール」がせめぎ合っているのだ。

「負け逃げ」などで、ベスト16に行ったところで、何の意味もない、協会官僚どもがホッとするだけのものだ。選手たちに大きな負の遺産が残されてしまった。その見えない「大きな」負の作用の克服(否認されたものさえもが否認されるから)だけで、相当の時間がこれから見えないところで要される。プラスの糧にはなっていないもが、ベスト16進出よりもはるかに大きくある、最後の10分、しかも「決定的な時間」において試合「しなかった」のだから。それがわかるまでにも時間がかかろう。長谷部の誤認が、一番気にかかる、一人の優秀な選手が、しかも日本のリーダー書くが、日本の「しないことがすることになる」一般状況に足をすくわれ、認識を誤ってしまっているからだ。

日本サッカー選手たちは、世界でも一流になっている、しかも1人ではない広い層で。それに見合う、統治体制が、全くできていない。そこを日本チームとして形成できる一つのスキルがある西野監督であったのに、早く軌道修正し、間違いを間違いと認識し、「ゴール」の本来の形成を開いて行くことだ。はっきりいう、カズをはづして代表選手統率していたような小人物(コーチ資格をとってきちんとしたことを始めた開拓者ではあるが)などの「次元ではできない、そうした3流の時代は終わった。本田、香川、長友以降の世代が本格的なプロ形成をして行こう。

 

ベルギー戦、淡い期待を皆、抱いているが、絶対的に勝ち得ない。惨敗する。だが、「結果」などどうでも良い。

ベルギーが強いだけだからでは無い、もう、あの最終グループリーグの10分間で、W杯の勝負の質として、敗北しているからだ。一刻一刻で、各国の一流選手たちが試合ごとで瞬間形成していくすごいものがある、そのW杯を日本は侮っている10分間の大損失。その克服は数日では、なされ得ない。しかもベルギーは、日本を侮ってはいない。ただ、その損失の取り戻しへの戦いの努力が、どこまでなされるかだけだ。選手たちは、最大パワーで戦うであろう、彼らは「ゴール」の水準を高めようとしている、それは見失われてはいない、その姿に、もう冷ややかな目ではあるが、応援したい。その一途な姿で、世界からの非難(これを関係ないなどとうちわで威張っているような姿勢では世界水準にならない)を、少しでも克服して、「ゴール」形成の再蓄積へと進んでいくことだ。結果で、査定・評価してはならない。結果などどうでもいい、「ゴール」の質である。敗戦ドイツの監督は、躍動感がなかったと言っていたが、それが「ゴール」の次元でのことである、だから結果が出ない。

 

*フランス/アルゼンチン戦、ウルグアイ/ポルトガル戦、決勝トーナメントに入った次元から、試合の質は一気に高まっている、すごいものだ!

 

 

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