西野監督で、続投すべき!:日本サッカーを世界水準に構築すべき段階である

  • 2018.07.04 Wednesday
  • 10:35

 

また、技術員会なる「無」技術委員会が、結果査定から、外国人監督を立てようとしている。

「無」技術であるという根拠は少なくとも二つある。

第一は、西欧的技術原理と日本的技術原理は、身体領有、心的領有されたものとして、全く原理が違うということ。そこへの無知。

第二は、データ分析、つまり「結果」分析しているだけで、それがなされた情報生成分析をしていない、エセ科学主義。

要するに、何も技術解析しえていないということだ。大学知の低次元にあるままだ。

そして、第3に、「ゴール」の理論的な認識すら皆無であろうということ。

 

この三つは、根源的に同じ次元であるのだが、日本の大学知性がほとんど認識しえていない、停滞にあることで一般普及してしまっているものだ。

海外では、欧米だが、非大学の研究機関が高度にシステム化されている。大学システムとは別の系が構築されて、そこの刺激がまた大学へと突き返されているが、もう大学システムという本質的に科学進歩の現実から一歩遅れたことで「秩序安定」を再生産するシステムの時代は終焉しているのだ。なのに、大学が科学の先端であるという日本の知性の低次元さである。文化論に至っては、話にならない。

対象を測定可能な範囲で切り取って、因果関係で解析するなど、もはや科学ではない。可観測性、可予測性などにおさまる現実も環境もない。ダイナミックに瞬間ごとに動いて行く集団スポーツの先端性を、「結果」だけで判断分析しているだけの技術員会であろう。

西野監督が、後悔は、あの10分間、そしてベルギー戦の後半と言っているが、それは、あの10分間から連動して引き起こされている、つまり、2点先取でバック固めへと決断できず、あの10分間の欠如を埋めるべく3点目へと転化してしまった。そういうように必ず不可避に作用する。それは、因果関係という表層ではない、欠如の「ゴール」の本質構造であるからだ。

 

「ゴール」とはなんであるのか。ラカンは図示している

「目的Aim」は、遡及的に設定される、つまり最初にあって最後に出現する。これは、「優勝すること」である。

そこには、対象aという不可視の、非在の実在がある。例えば一つ一つの「試合」である、試合自体はそこにある、だが、そこで何が起こるか、どうなるかはわからない、試合の実際の進行によって変化して行く、映像では残るが、その実際遂行それ自体は二度と再現はされない、非在となる。

そこに「縁Bord」の規制条件が入り込む、敵の状態であり、ルールであったりメンバーである。

こうした諸関係と構造において「到達目標Goalゴール」は形成される.。この図でいうと円盤の位置だ。目的が入り込んできて、対象aを出現させ、究極目的finへと抜けて行く。

 

この構造において、AimがGoalと誤認され、さらには結果resultだと転倒される。

 

さらに、選手が決める「ゴール」があるだけではない、その試合が決める「ゴール」であり、チーム総体が決める「ゴール」であり、監督采配が決める「ゴール」という、その総体が「ゴール」である。結果=得点がされる。その結果がさらに、「勝つか負けるか」を派生させる。シュートと「ゴール」と「得点」とは、別ごとであり、そのシニフィアンのつながりが、シニフィエの現象だけからでは解析されない、またそれは事実ではない。シニフィアン連鎖は見えない。だから、「ゴール」を構成していかねばならない。

 

その構成原理が、主語制技術であるのと、述語制技術であるのとは、全く異なる。そして、結論的にいうと、主語制はまさに個人プレー、南米型、メッシやロナウドのような身体技となるが、それさえW杯で機能しなくなるように、述語制諸関係が見えないところで作用している。

「協働」「共同」とか、組織的プレーというのは、主語制基準から見ているだけであるのだが、述語的作用を指示しているのに、論理がないだけだ。

西欧は、主語的に構築する。南米は、スペイン語もポルトガル語も、実は主語なき述語制を残滓させている言語のため、彼らの個人プレーは無意識閾で述語的に表出している、その典型がメッシである。ロナウドは主語的である。

単純化して言っているが、ここを技術委員会は、分析などしえていないということだけは、確信を持って言える。

 

日本は、述語制言語文化を対象化し、その身体技術の作用を解析し、述語的サッカーの構築を世界で唯一成し遂げられる。なのに、そこへ取り組もうとしないで、まだ西欧のモノマネをしようとしている。

日本文化資本を領有した歴史を身体構造化している、心的構築している日本人でしかそれななしえない、ナショナリズムを言っているのではない、その述語制の文化を普遍へ引き出すことなしにはありえない。ノウハウではない、本質、普遍である。

英語にも、昔は主語などはなかった、述語制が普遍である。なのに近代が、近代スポーツが、主語制の身体技術と、その「客観への総合」としての分析を、「分離」思考でなしてきた。

 

西野監督を批判したのではない、あの10分間の過ちを指摘した。その「構造的」な意味と必ず派生させてしまう「シニフィアン連鎖」とを指摘した。

西野監督は自覚している、ただ、彼らに論理がないだけだ。

外国人監督で、日本側が無意識にしかし明らかに身体化している述語制を、活かすことは絶対的にありえない。ベスト16までしか、その調和では行くことしかできない。まさに「結果」に出ている、なのに自らがなしていることに反するのも、結果主義とは自分都合のことしか判断しないからだ。西欧の客観化の向こう側に述語制は実在している。

 

四年間、日本は、そこへ取り組むべきだ、もう西欧的仕方などは了解できているであろうに。それが、まだ欠如していると思い込んでいるとき、否認されているのは優勝という目的と述語制の「ゴール」である、絶対的にベスト8にもいけない、スイスやメキシコを見るがいい、必ず決勝リーグに出ても勝ち抜けないであろう、その次元へとどまる。

 

日本語に主語はない、日本の技術は非分離の述語技術である。日本人の誰一人、主語制言語を喋っても書いてもいない、なのに主語があると思い込まされている、その認知・認識構造が国家資本化されている、その「しない」「できない」「しようとしない」根拠を明らかにするのに国家論5部作を要してしまったが、「はいそうですか」とはならない根拠がある。

 

サッカーは、ナショナル空間のプロ野球スポーツ(読売巨人支配)を、「場所」スポーツへと転化した、それによってプロ野球も場所化へと転じられた。ヨーロッパでさえそうなっているからだが、読売で一元化しようとしたことを木之本が場所対等へと構成したからだ。述語制原理の一つは実行したのだ。そしてW杯の世界性へと開いた。

次の段階を、だが、協会はなしえていない。

失敗を、日本人監督に始末させている。また、繰り返そうとしている無能、御都合主義。外国人監督で、FIFA連携しようという、政治官僚的小賢しさだ。同じことの再生産で済まし、新たな閾への挑戦を回避する。真のサッカースポーツを考えていない。

 

西野監督続投で、世界へ示すことが、日本サッカーを構築し、世界への寄与となる。
 

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