場所の喪失 場所の復興;三年目の3.11

あれから、3年。
自ら、被災地へ入って、そのすさまじい崩壊に言葉を無くした、その記憶は、はっきりと自分へ刻まれている。
そして、原発事故の区域へ防護服をきて入った。

それは、場所のまったきの喪失であった。
自然災害だけとは言いがたいものが、人為災害として出現している。産業都市設計の、確実な誤りだ。
だが、復興は、社会復興としてなされているだけで、場所復興としてなされていない。だから、さらに、ばかばかしい、海を封鎖し、陸と分断する、巨大な防波堤づくりが先行されているのに、それは象徴的である。海と陸とを分離設計する、そうした愚行が、再び巨大被害を招くに決まりきっている。
なぜ、それが分からないのか? 場所の幻想技術が、どこにも作用していかないからだ。

場所環境づくりの設計言説が、まだまだ不十分であるため、こうした事態を招いている。
1月30日、とりあえず、場所環境設計会議をたちあげた。
そして、この間、「国つ神論」を記述しきったところから、場所の「幻想技術」が不在である故、こうした場所無視がおきつづけていくのだと分かった。場所の神々が、消失させられているのだ。日本人の心性の源である。
地道に、わたしは場所言説の構築をしていくだけである。
そして、なんとか、場所環境設計の実際の端緒を、都城と日本橋において、切り開きたい。

その意をあらためて堅くした、三年目の3.11であった。
合掌。
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