<場所>という概念=コンセプトが、まだまだ浸透しない根拠

場所環境会議を、何度かなしてきて、<場所>概念がまだまだ浸透しえない実感をもっている。
それは、ものごとの実際の設計が、商品設計へ分離され、「社会」空間へ統合されて、流通したままの情況であるからだ。
しかも、<商品ー社会>の実際世界が崩壊しているのに、その崩壊へ目を向けない、神話的虚構が、非古代神話的な「現代神話」として物象化のうえにさらに構造化されたままであるためだ。
実際の場所環境の「有」の世界が崩れ去っているだけに、「場所環境」は絵空事のようにしょりされていくことが、現実=実際を観ているかのように錯認されているのも、大きい。「場所」は「在る」のに、「無い」と思い込まれている。この転倒の深さは、日本人が着物文化を喪失して、着物を着ることをせずに、洋服をきたまま暮らせていることに、照応的に対応している。そして、着物は日本文化だと知っている、そういう知の劣化にみあっている。

いま、着物を着ることは、ライフスタイルの転換を要する。結構、大変な自己転換である。
まして、場所環境に立脚した生存生活など、およそ非現実であると思われるのも無理は無い。
そうであるのにそうでないように構成されてしまった心的構成は、簡単にはうちやぶれない。
言説生産が、まだまだ不十分ということもある。

モネの庭園をジベルニーに観にいってきた。
まさに場所設計の典型を確認できた。100年以上も前である、それがいまだに生き続けている。
ジベルニーの「有の場所」に、モネは印象派の想像的無の場所設計をもって、場所住民から大反対されながら、強引に政府をうごかして、モネの庭園を、水の設計と同時になした。それが、いまでは、ジベルニーの村の場所環境としての観光資源の土台になっている。
印象派を小林秀雄のように「近代」とみなす誤認は、時間の空間化を見誤った典型思考になっているのだが、光や花や水を「非分離に述語設計」したモネの意図を見誤ってはなるまい、そこに日本の述語文化が、非近代として作用していた相互交通は、根柢から再考察せねばならない。印象派美術館の花の庭園は近代設計であるが、モネの庭園はまったく非分離の術語設計になっている。たくさんの観光客がそこをとりまいても、庭園の非分離述語制はまったくこわされない力をもっている。

場所環境会議を、暫定的に日本橋においた、その間違いが、場所環境会議の次の力になっていかない大きな根拠であるようなのだが、悪霊が日本橋を跋扈し、神が日本橋にいない、神がいない神社を祀っている、そこで意味有ることをなすには悪霊に取り憑かれるしかない、それを拒否している場所環境会議であるため、機能しないようだ。
どうも、場所を移動させて、とりくむほかないようにおもえる。国つ神のいないところに、場所の設計はありえない実証をなしているような気がしている。
東京にも京都にも、まっとうな国つ神がいなくなってしまっている、天つ神との共存構造が創成されない、そこに場所設計はありえないということの実証をなした半年であるように思う。
人=タマの布置も、そこにかかっているようだ。
これを、絵空事だとしているような現実性感覚は、もっと通用しない、幻想技術の布置をいかになすのか、それが最大の課題であることはたしかなようである。
1