任侠映画に埋没した三ヶ月:DVDでシーンの確認をするたびに、ジーンと涙がでる

JUGEMテーマ:人生論
骨折をいいことに、任侠映画を徹底して見直した。60本は観たかなと数えてみたなら、130本を超えていた、高倉の任侠映画以前と以後まで確認していたからであるが、よくもまあ、観たものだ。
観れば観るほど、高倉健は偉大なる俳優である。昨晩観たのは「ごろつき無宿」、高倉がテキ屋になって、バナナの叩き売りの練習をしている、あのこわもてで、南利明から、笑えといわれ、無理矢理笑い顔をして、口上をのべる、そのおかしさに大笑い。ひたすら、叩き売りを練習する一途な高倉。そばで、子どもの方が先に覚えてしまう。映画は生きる悲しみを、勇気に変えることが出来る、と高倉は言ったが、そういう内容の映画を降旗とつくっていった。
また、藤純子の踊りを確認していって、地唄の「雪」、深川節、そして民謡の「田原坂」、さらに歌舞伎の「保名」と、調べていく。
日本女侠伝の芸者ものだ。藤の踊りは、うまい。それが、緋牡丹博徒の立ち回りになっていく。
「保名」の踊りと文太の殴り込みとがかさなるのだが、こんなに絶妙につくっているとはおもわなかった、唄われていない部分に、意味があったのだ。
「踊りをみてくれ」と藤がいう、その意味は深い。
各シーンを、添削しながら観なおしていくと、もう、涙ものばかり。任侠映画は、物語性よりも、各シーンの繊細さが、じつにきめこまたかに作られている。それは、仁義だ、義理だではない、「情け」の閾にあるものだ。近松浄瑠璃より、藤の任侠映画の方が、情けが文化史的に深い。

本のタイトルは「高倉健・藤純子の任侠映画と日本情念;憤怒と情愛の様式美」とすることにした。一般的なタイトルにした。
もう、あとひといき、文化史からのまとめで終了する。
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