出版編集者、吉田公彦さんへの追悼

JUGEMテーマ:人生論
先日、吉田公彦氏が亡くなられた。日本エディタースクールの創設者である。谷川健一、谷川雁さんたち兄弟の末弟だ。皆さん、豪傑であられた。
わたしは編集者にはほんとにめぐまれていたが、なかでも、数年前に新曜社の堀江さんが亡くなり、こんど日本エディタースクール出版部の吉田さんが亡くなり、いちばんかわいがっていただいたおふたかたが亡くなり、なんともさびしい。30代の若きときに、おふたかたから出版だけではない、人生上のことでもほんとにお世話になった。そして、出版では、かなり好きなことをいろいろとさせていただいた。エディティングのことは、彼らから教えられ、自分にいかしてきた。
吉田さんとは、吉本隆明氏との『教育・学校・思想』の刊行で、知己になり、かなり徹底した議論を吉本さんとなしたが、吉田さんがいなければ不可能な仕事であったといえる。吉本さんもわたしも吉田さんの指示・指摘で、相当に手をいれ、しっかりしたものに仕上げた。その後雑誌の『actes』やその叢書シリーズをだした。当時、エディタースクール出版部は、「民俗学」を網野善彦、宮田登、坪井洋文さんたちが出し、社会史研究を阿部謹也、二宮宏之さんたちが出し、「現代思想」を、福井憲彦とわたしが出していた。共通しているのは、歴史への真なる捉え返しによる現在性の新たな提示であったといえようか。画期的な研究作業の時代であったといえる。
出版上、いろいろな問題が派生する、その対処の仕方も学んだものだ。研究者で出版局を回せる者がほとんどいないのは、出版総体への関与をしていないからなのだが、堀江さんと吉田さんがおられなければ、わたしはそうなっていなかったであろう。
一番記憶に残っているのは、谷川雁さんと吉田さんとわたしの三人で、当時市ヶ谷にあったエディターの近くで飲んだときだ。雁さんは、わたしの書を読んでくださっていて、雁流の理解をしめしてくださった、そのあと、雁さんが次に行くぞと誘われたのだが、「殺されますよ」と吉田さんがそっとささやき、上手に逃がしてくれた。飲みっぷりがちがう、あまり酒に強くないわたしには救いであった。ある日、吉田さんの家に福井氏といっしょに招かれ、吉田さん手作りの〆サバ寿司おごちそうになった、実にうまかった。他にもいろいろな出来事があった。親身にわたしの立場にたってくださり、若気でつっぱしるわたしは、助けられたものだ。
ただ機械的な、出版だけの作業をなす編集・出版の仕方ではない、著者がかかえることの総体につきあってくださるのだ。「売れる本づくり」などにまったく関心がないわたしを現実過程で機能するようにしてくださった、堀江さんと吉田さんがいてくださったから、いまのわたしがある。
葬儀に、図書新聞の井手さんがこられており、久々にあった、井手さんも数少ないほんものの編集者のひとりであられる。
静かな内輪だけの教会での葬儀、いろいろなことが走馬灯のように思い出され、涙がとまらなくなったが、こころからのお礼をのべ、お別れすることができた。
ほんとに世話になったかたというのは、そうたくさんいるものではないが、あきらかにその方がいなければ自分がいないという存在がある。わたしはしあわせものだ、とほんとに感じる。