小田原の変:箱根噴火、新幹線焼身自殺:気象庁が認めないと噴火にならない転倒


30日、10時半ごろ、下から突き上げてくる地震で目が覚めた。吉本さんとの本製作で、徹夜がつづいている。
わたしの住むここは、箱根まで車で30分ぐらいのところにある。
その後、窓をゆらす空気の爆発音があり、その十数秒後ぐらいか、下から突き上げてくる振動=地震が、ともに3度ほど、11時前にあった。TVをつける、1つだけの地震速報が、NHKで流れる、テレビ朝日は、箱根から中継していたが、噴火について、なにも言っていない、レベル3までひきあげられたとはいっていたが。
12時過ぎ、気象庁は、噴火らしきものがあったと、発表。

住民たちから、役場への問い合わせが殺到し、それから、数時間後、「噴火」とされた。
こういうのを、専門家が独占している不能化、という。
医者が「死亡」「病気」と診断しない限り、死んだこと、病気にならないように、自然噴火まで、気象庁が認定しないと、噴火にならない。この近辺まで、数十万人は体感しているのにだ。
昨晩、火山灰が降っていたのに、東大で検査し、翌日、火山灰だと認定される。火山学者たちは、噴火だ、火山灰だといっていたのに、気象庁が専門判断を握っている。
現実の目の前で、灰がふっているのに、専門家独占している気象庁が認定しないと火山灰にもなれない。
あきらかに、噴火の爆発音がし、火山振動が、震度3ぐらいで数度、体感できる大きさでおきているのに、「噴火」にならない、報道人も目の前でおきていることを伝えられない、気象庁が噴火だといってから、噴火だと、言い始める。なんのための、中継・報道か。原発のときから、それはおきていた報道の不能化だ。
自分たちで報道しえないくせに、自民党から報道規制みたいなバカな発言がなされると、「報道の自由だ」などと体裁でうそぶく。
安保法制が憲法違反だと憲法学者が言っても、違反ではないかつての自衛隊がそうだったと、うそぶく政府。
オリンピック競技場が、技術的におかしいと建築家たちが言っても、無視されつづけ、膨大な予算オーバーが黙認=容認されていく。
専門家が、二分されている。「現実」を見ている専門家は、専門家のパワーを喪失し、制度服従している専門家判断のみが、公認されている。

わたしが、学校化された転倒、制度化だといってから、もう36年、完全に社会の学校化が完成している現れだ。
それは、実際に目の前でおきていること、自分が体感していること、明らかな「現実」を、制度保障された専門家・権威筋が、認定しないかぎり、その現実にはならないという、転倒である。

そこへ、新幹線の焼身自殺報道がとびこんできた。小田原駅の前でである。
また、テロとの関係はどうかわからないと、判断停止して、専門家たちの認定を待つ。
どう考えても、ここ数日おきている、世界同時テロ現象をみても、当人主体に直接性があろうとなかろうと、これはテロ行為だ、無目的性の学校化された感覚によるテロ、列車という閉じた公機関を使って、秩序自体の攪乱・破壊をなし、当人に直接利害関係のない他人を死へとまきこんでいる。放火、焼身自殺にとどまっていない。
生活不安定者からの、無目的テロ(テロとは秩序を攪乱すること自体が目的で、何かを生みだす獲得する目的は無い)を生みだす社会悪が構造化されてきているということだ。

数日前、箱根でトラクターが橋梁から落下し、川のあゆたちが死んだ事故もあった。あゆを殺そうと意図したわけではないのに、積んでいたものから毒性がながれだした。

戦国時代は、小田原の後北條からはじまったが、2015〜6年におきるとされている激変が、出来事として小田原に現出してきたと象徴的にみる。そのうち、というかもう起きてはいるが、さらにあちこちで起きていこう。

後北條圏内に、わたしが住む事になったのも、なにか縁があるからだろう。
ポジティブな変に転移させていくこと、その言説指針を明示していくことが、残された自分のタスクであるように思う。
自然、人為のネガティブさに惑わされないことだが、富士山の爆発、そして東海大地震、さらに太陽黒点など、人為をこえての地球・宇宙の激動のなかで、人為も不可避に生命反応的に激動していく。
経済のギリシャは、その目にみえる噴出であるが、金融・財政地盤はもう崩壊している、弱い環が切れた時、一気に波及していこう。EU官僚のこざかしさでとめられるようなものではない、資本主義金融自体の崩壊は、もうスイスで実際にここ2年で露出していたことだ。
中国は、別系の金融構造を樹立しはじめたが、同質の別統治物をつくっただけだ、連鎖して破綻していく。
国民が、自分の預金を自分でおろせなくなっているギリシャは、数年後の日本である。
破綻を実行していく、国立競技場、安保法制、もうそれを自らすすめる。そして、「反」の民主党の不能さ。共倒れである。
つまり、もう政策上の問題などに、事態はない。本質的崩壊である。
その小現象が、あちこちで出現している。
 
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