EU離脱のイギリス、その世界への意味作用

 

次々と、出来事は、激変へむけて加速していく。

イギリスのEU離脱は、ヨーロッパの均衡を諸国家間の独立した均衡、つまり1つの帝国をめざさずに、他国との競合関係において、その不均衡を均衡させるという外交的・軍事的な配備をなした、新自由主義の体制への反動的逆行であるが、それは統治次元のことで、統治しない自由放任へおかれた市場経済は、もはや物質的生産関係において情報技術生産が機軸に変移されてしまっていることにおいて、市場経済と国家統治との関係で、あきらかにねじれを不可避におこす。

EUの瓦解は、EU国際官僚の無知な統治から派生しているが、新自由主義にかわる統治理性の真理の体制を何ごともつくりえていないから、瓦解していく。いわゆる、ポリス国家という、内的政治において従来のままのナショナル統治を保持していながら、人口の諸個人の細部にまでいたる関与を回避した、その間隙に移民流入がおきて労働者の不安をまねいたのだが、17、18世紀の国家理性・ポリス国家の矛盾を、なんら転移させる国家をこえる統治理性を形成しえなかったからだ。

新自由主義は、また、個人利益を主体化し、個人利益がなされれば共同利益に自然的に成るという考えでもあるゆえ、負の作用として大衆の妄動を招くものにもなりがちになる、ここがポピュリズムと混同される。

キャメロン首相への有罪の国民投票という形態でしか、イギリス国民の意識も作用していない――それにしても51%対48%であるゆえ、ほぼ半々である分裂だが――、ナショナリズムの復活的な決定であるから、スコットランドはイギリスからの離脱を加速させよう。

 

他方、グローバル経済に於いて、円安と株高に依存していただけの表層のアベノミクスは、これで破綻的規制を、円高においてうけていくが、そこで、無認識に財政安定を国家統治しようという不可能なことを妄言しはじめている。参院選はかろうじて通過しえても、次の衆院選は、危ういのだが、野党の文化的・叡智的無能さがそこまでにたどりつけるともおもえない。

たとえばシャープなどは、自由市場経済としての売却であるが、台湾からすれば7000人の解雇など、他国のことだとやりぬくであろうが、売却統治もしえない、新自由主義経済状態なのだが。不正への官僚的介入しかなしえない、経済統治には、文化欠落した無知の官僚統治がなされているにすぎない。

 

こうした一連の流れは、トランプ出現をほぼ確定的な傾向へと規制していき、どうなるかというと、国家的統治の強化によって、ポリス国家的な作用の反動がうみだされていくということだ。国家社会主義への反作用として出現した新自由主義は、機能規制されていくが、物体経済の統治強化がなされても情報技術の統治経済は実質不可能である、生産諸関係自体にきしみ、裂け目が出現して行く、そこへの新たな統治は、場所規定的な直接民主主義しかありえないのに、国家「社会」統治としてなされることでの、すさまじい統制国家となっていく。この反動を、とめられるほどの、住民の場所統治力能は、形成されていないが、生産関係は破裂するにしても、情報技術生産の方も、まだ未熟である。

 

つまり「反振る舞い」のパワー関係が未熟すぎるのだ。社会主義という誤った統治の解体は、保守が社会主義的になるということにおいて消滅復回した、ねじれの不可避性をうみだしている。

国家理性、ポリス国家、新自由主義、社会主義の総体的な超克が、統治理性に於いて要されている。それらのすきまにテロが徘徊している。

 

世界総体的な崩壊の出現だが、生存の道を、人々はいかに切り開いていくのか、それとも崩壊しきらないと、出発はありえないのか。

述語的技術の場所環境経済の理念と言説を、しこしこと形成して行くほかない。