タカタのように、3代目で、なぜ、企業は潰れるか:ファミリー・ビジネスが理解されていない例

 

3代目が、事業を潰す、と一般になぜ、それは言われているのか。

経済資本の再生産に立脚しているだけで、見えない「文化資本」の継承ができていないからだ。つまり、核=コアを喪失してしまうから、潰れる。

 

2代目は、その1代目が経験的に見えているから、その語られえないものを感知して、継承の再生産へ関与しえているが、3代目には、初代に規制されている2代目の仕方が非効率に見えて、愚かにしか見えなくなり、世間一般の「商品生産」経済の上っ面の仕方で、もたもたした2代目を超えられると、勘違い、錯覚するためだ。拡大再生産において成功していると、それは顕著になる。

 

もっとも主要な点は、生産を可能にしていく「生産諸条件の再生産」が企業の外で多様になされている実際を、喪失するからだ。

生産諸条件が、企業内で構造化されていると思い込む。それは、ただ、商品再生産の物的諸条件でしかない。

原料・素材も、技術も、労働技能も、また土台を支えている文化も環境も、さらには購入してくれる顧客も、全て生産諸条件は外部にある、外部で進化し、発展している。つまり、作る条件も使われる条件も外部であることを見失うから、潰れる。

外部は、社会的な一般性としてしか自分の基準になく、しかも上っ面の知識しか持っていない。外部に通用もしなければ、内部の実際にも行き届かない。エアバックが、1件であれ事故を起こしたそれを真摯に対処せず、内部生産で作ってともかく売れているのだからと11年も放置的に扱って、破綻会見でもまだ、何故なのかおかしい、奇妙だ、などと全く了解できなくなっている3代目になっている。自分のせいではないという顔をしたままだ。

都合悪いことだけは、外部にあるとする、安倍の仕方と同質である。都合の悪いことこそ、自分がしでかしたと考えていかねばならないのに、その根拠が把捉されなくなる、安倍も一種の3代目坊ちゃんだ。

 

ファミリー・ビジネスの経験に、産業経済では、非常にまだ歴史が浅い、未熟な日本である。

ファミリー・ビジネスには、非経済的な諸関係が蠢いている、それを「資本化」できずに、面倒な厄介ごとだと処理していくと、衰退する。結婚や教育、さらに教養や社会関係などの再生産戦略が、ちゃんとなされていないで、産業社会上で個人処理されていく。文化地盤への了解は、大卒の学歴了解の一般知で止まったままである。商品経済の効率性以外の物事は、全て無駄であるという認知しか持っていない。売れることが利益だと錯誤する。コストを下げれば利益が出ると、思い込む。それは、もう経済がなんであるのか、完全喪失した状態である。経済の総体性を喪失しているのだから、衰退し、破綻する他ない。

ファミリー固有の諸資本があることが、全く見えなくなっているのが3代目の特徴である。経済地盤は、まだ出来上がっていないのだ、ただ商品拡大再生産が、なされているだけなのに気づかない。

逆に言えば、3代目が、やっとファミリーの文化資本と経済資本とを結合させた地盤を築くのだ。それには、初代の初発の見えない文化資本、2代目の継承格闘の見えない継承資本を、しっかり領有して、新たな世界変化に関係付ける経営を開いていくことだ。ここが、明白に自覚対象化されているようには見えない。継承は社会化することだと、多分に誤認されて、文化資本消滅させている。

 

商品再生産は、一つの軸でしかない。生産諸関係総体の再生産は、文化と環境と経済とを、総合的に生産していく生産諸条件を整え活用することでなされる。その時、無意識で国家資本に自らが認知・認識構造を収奪されていることに気づいていなければならない。

現在、企業人一般は、商品再生産しかしなくなっているのに、商品とはなんであるのかの経済認識さえ持っておらず、商品の基盤である<もの>の文化資本には全くの無知になっている。「無知化された空間」の中で、ただ表層の経験知で、内部組織経営しているだけだ。

実体は、外部にある、内部は幻想錯覚にある、なのに、実体が内部にあり、外聞は幻想だと転倒している、企業体になっている。衰退、破綻するに決まっている。安倍政治もそうなっている。主語制様式の効果である。