知識人なんていない、ただひたすらわたしは「考えている」のみ。

  • 2017.04.22 Saturday
  • 12:56

知らない公衆・人々を直接に前にした講演やトークの場所で、自分が否応無く知識人としての役割を関係で強いられることを、どこまで拒絶できるか。

わたしは、ただ考えているだけの存在であり、それを吐露していながら、しかし、聴衆は「まだ知らない」、「知っていることを知らないでいる」と前提にしてしまう。これが、わたしの限界だ。すると奇妙なサービス精神が、助平根性で出てしまう。

書くことだけに専念してきたのは、自分で自分へはっきりさせるためだけであった。その言説を歴史の中に残すことだけであった。

だが、今回の国家論は、考えていたことを、ぐっと後戻りさせたため、人々へ伝えようというベクトルが入ってしまっている。

そこに、わたしは、自分への未踏の何かを背負っている。古臭い、「知識人ー大衆」図式の、傲慢な無意味さを突き抜けきれないのは、知的疎外、理性疎外の優位さが、「知っている」かのように動いてしまうからだ。知っているだけ、何も知らないことでしかない、考えている分だけ、何も考えられえていないのに。

自分の知的な敵は、マルクス主義言説、邦訳言説であって、また低次元の文化資本、政治資本であって、それ以外にはない。

なのに、自分を含んでこの世界への捉え方は、まだダメだなという実感がどうしても脱しきれない。それを、聴衆が本を読んでいない、と転移してしまっている部分がある。読んで欲しいと欲望してしまっている。この限界である。

象徴的な<他者>=国家を設定し、強調しているからだ。それは、わたしを襲っているように、あなたたちをも襲っているとしている。それによって、共有されうるものを想定してしまっている。

書いている時、それは想定されていない。パロールの誘惑が入り込む。すると想像的関係での共有がありうるとしてしまうのだ。

「俺は、パワー関係の中で抵抗している」、それをさらけ出してしまうからいけない、他者にはどうでもいいことである。

ここが、処理しきれていなかったな、と反省している。聴衆に対して、どこか情動的他者になってしまった。言説の形成に先行するものを語ってしまった。だが、5月24日までは、この線上でいってみる。けだし、情動と知的なものを対立させてはならない。

 

やはり、ただ考え続ける「愚者」であることの享楽へ戻った方が良さそうなのだが、それはありもしない欲望を抑圧することではない、欲望を棄却すること、メニューから抹消することだ。5回で、十分であろう。

国家資本の幻想シニフィアンの壁がはっきりしたのだから、向こう側へ行かねばならない。

螺旋回転して、さらに先へ行くこと。そのための良い経験ではあった。いくつか、自分へ気づいた、つまり論じきれていないことを発見はした。それは、場所共同幻想は向こう側があるが、国家共同幻想には向こう側がない、ということ。主語制様式は<一>なるものへと普遍化している、というようなことだ。場所共同幻想の向こう側が、国家へ集中化・普遍化されていくこととは別の統治性を、象徴化していくものを創造しなければならない。

天皇退位を「上皇」化する、似非共同幻想を、「識者」会議の無知が国家化しようとしている。平成天皇が国つ神の立場にたった、それを逆転させ、さらに疎外遠隔化しようとしている、しかも「国民に納得いく形で」とと嘘ぶいて。御厨貴らの貧相な低次元知性は、古事記も書記も読んでいまい。諸々の政府識者委員会の識者たちの文化資本のなさが、国家資本化を進めている。

日本の初源的共同幻想は、非常に高度である、それを生かしえていない国家資本化が問題なのだ。

 

わたしが観られることではない、わたしが「考えていること」が観られ、読まれることでしかない。

手助けなどはできない、不可能であるのだから。そしてわたしなどは、いないのだ。

しかも、人々が、自分を自分でなくさせている防衛を取り除く必要などは、ないのだから。

 

だが、北からミサイルが飛んでくるという思惑をわれわれへ増長させ、仮想した避難訓練がなされ、テロが起きうると前提にされ、こうしたことが日に日に常態化されて、人々が自分を防衛することは国家を防衛することだとなっていく。起きていないことが、もう事後的に起きているとされ、気づいたら戦争国家になっているという、貧相な政治資本からの国家化が進んでいるのは事実である。

テロの象徴効果の方が、国家の象徴効果を超えてしまっている。テロは、国家資本政治では対応しえない「悪」である。ナショナルな一元化を国家資本化している国家アクトから、テロは撲滅できない。テロは、エスの死の本能から、超自我を破壊する。国家資本が産み出した病理である。そして、国家自体が、テロ国家化への道を選択しつつある世界情勢になってきている傾向にある。民族国家という妄想は、融けていない。フランスで、労働者たちは共産党から右翼の国民戦線へと移行している。だが、そこにも解決などはない。

 

わたしは、そうなっている象徴的編制をひたすら読み解いていけばいいのだが、しかし現実的な観点から入ってはダメなのだ。

だが、象徴的な観点だけからでは、構造論への後退になる、現実的なものは同時的に不可能として踏まえねばならない。想像的なものへの批判が不在であってはならない。

 

「対象a」は、もはや国家ではない、述語制そのものであるのだから、その転移の理論力である。ラカンの欲望グラフーーそれが主語制様式の現在的な構造化ーーの構造解体である。

そして、安楽の全体主義的日常へ、わたしも回帰していく。「プリズンブレイク」の新シーズンは、謎だらけでめちゃくちゃ面白い、「HOMELAND」の新シリーズは、これから何が起きていくのか?!、・・・と、世界は日々戦争であることを、TVドラマで愉しむ日常へと。

このずれに、自己技術が働く空洞がある。

 

現実が動くには、言説化が、まだまだ不十分すぎるのだ。

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